ほん太くん。このあいだ二枚舌って言ったことだけど、ほんのちょっぴりだけこっちも悪かったような気がするから、とりあえず言っておくよ。
ごめんなさい。
うさ井さんこんにちは。『置かれた場所で咲きなさい』を紹介した時のことだね。
謝ろうとしてくれたのは嬉しいけれど、すごく言い訳がましいうえに、肝心なところがとても小声だね。
はぁ!?ちゃんと「ごめんなさい」って言ったよね!?
耳が短いから聞こえないんだよ!
耳ひっぱって伸ばしてやろうか!伸ばしてやろうかぁ!!
…子どもには絶対見せられない、見事な逆ギレだね。
『謝罪論』(古田徹也/著 柏書房 2023年)を紹介するから、謝るとはどういうことかを探っていこうか。
📖『謝罪論』(古田徹也/著 柏書房 2023年)一行紹介:
「謝罪」をいろいろな方向から分析することで、「何をすれば謝ったことになるのか」を探る本。
たとえば、子どもに「謝る」ことを教えると想像してください。
あなたは、どんなふうに教えますか?
「謝ったら負け」だと教えるね。
…ややこしくなるから、いったん聞くのに専念しようか。
頭を下げて「ごめんなさい」と言えばいい?
いやいや、気持ちがこもっていないとダメだと教える?
最後に仲直りの握手をすれば、それでOK?
どれも合ってるようですが、どこか足りない気がします。
こんなふうに、いざ説明しようとすると謝ることって、とても複雑です。
なぜ複雑なのか?まずはそこから触れていきましょう。
「謝る」ことが複雑な理由 バリエーションが多すぎる
「謝る」って、実に様々なバリエーションがあります。
これが、子どもに一言で説明できない、大きな理由でしょう。
軽い謝罪と、重い謝罪
まず、軽い・重いの差があります。
たとえば以下の2つを、同じ程度の謝罪で済ませられるでしょうか?
①人込みで、肩が軽くぶつかってしまった
②交通事故で、子どもの命を奪ってしまった
①なら、すれ違いながら「あ、スンマセン」くらいで済むことが多いでしょう。
それで十分相手には伝わるし、相手も「いえいえ」くらい返してくれるかもしれません。
②の場合、同じ謝罪で済ませられるでしょうか。
絶対、無理です。
深々と頭を下げ、反省の弁をきちんと述べ、さらに長期的な補償が必要になるでしょう。
社会的な罰も受けることになります。
子どもに謝罪を教えるとき、一般的には「相手の方を見て、頭を下げて、ごめんなさいって言うんだよ」と言うでしょうか。
でも、①の場合はそこまでしないだろうし、②の場合だと軽すぎます。
同じ「謝る」でも、こんなに差があるのです。
肩がぶつかっても、全力の謝罪を求めるけど?
…それは、一部の特殊なおしごとの人たちがすることだから、うさ井さんはやめた方がいいよ。
文化の差
2つ目に紹介するバリエーションは、「文化の差」です。
「日本人はよく謝るけど、言葉だけで何もしてくれない」と、海外の方は感じるそうです。
これは、文化ごとに「謝罪の意味が違う」ことが原因です。
日本語訳が「ごめんなさい」の言葉でも、そもそも「謝罪」とは何かが違うのです。
以下のように、文化ごとに異なります。
A文化 自分の過失を認め、相手に補償をすること
B文化 責任をとるかは別問題だが、相手がイヤな気持ちになっていることを理解していると示す
日本はBですね。
「あなたに余計な気遣いをさせてしまったこと、よくわかっています」というくらいの意味でしょう。
軽い・重いだけでなく、文化圏でも「謝る」意味は違ってきます。
…みんな、肩がぶつかったくらいなら、補償をもとめないのか。
…うさ井さん。
これからは、みんなと同じにできるかい?
それならば、「謝る」ことに共通することって何でしょうか?
どうして私たちは、人が「謝っている」とわかるのでしょうか?
謝罪の特徴を見てみましょう。
謝罪の特徴 ※ただし、すべての特徴に例外あり
これから『謝罪論』に挙げられている謝罪の特徴を紹介しますが、すべてにおいて当てはまらない例が存在します。
これもまた、「ごめんなさい」の説明を難しくしている理由ですね。
『謝罪論』では13の特徴が挙げられていますが、その中からいくつか紹介します。
特徴① 自分自身の分割
「あのときの自分は未熟でした…」と、ルールを破った時の自分と今の自分を切り離す
例外:遅刻グセが治らない人(つまり今も未熟な人)
特徴② 被害者への償い
何かを壊したら、同じものを買ったり同額のお金を渡したりする
例外:肩がぶつかった程度の軽い謝罪のとき
特徴③ 未来への約束
「もうしません」と約束する
例外:老人が今際の際に罪を告白して謝る場合
特徴④ 赦されることの追求、応答の要求
「ごめんなさい!おねがい!ゆるしてください!」と相手からの応答を求める
例外:ただ謝りたい一心で、相手からの返事を求めていない場合
特徴⑤ 道徳、正義の修復
「約束を破ってごめんなさい」「嘘をついてごめんなさい」など
例外:泥棒が仲間に手際の悪さを謝る場合
このように、「謝る」ことの特徴を考えていくと、「いやちょっと違うよな」と立ち止まってしまいます。
こんなにややこしいのなら、もう謝らないほうがいいと思う。
うさ井さん、そっち側に行ってはいけないよ。
では、すべての謝罪に共通することとは、どんなことなのでしょう?
すべての「ごめんなさい」に共通すること 2つ
『謝罪論』の中では、全ての「ごめんなさい」に共通することとして、2つのことを挙げています。
全ての「ごめんなさい」に共通すること① 当事者性
どんな場合の「ごめんなさい」でも、謝る人は、その原因となった出来事と関りを持つということです。
たとえば一般的な日本人が「昨日の南アフリカで天気が悪くてごめんなさい」とオーストラリアの人に謝るのは、成立しませんよね。
天気も南アフリカもオーストラリアも、何一つ当事者でないからです。
自分自身ではなくても、親だったり子だったり、時には数世代前の同じ国の国民だったり(戦争責任について、国のトップが謝る場合はこれ)。
謝る側、謝られる側は幅広いですが、『謝罪論』では「すべての謝罪に共通するもの」として当事者性を挙げています。
全ての「ごめんなさい」に共通すること② コミュニケーションの起点
すべての場合の「ごめんなさい」は、謝る側と謝られる側のコミュニケーションの起点(はじまりのきっかけ)となります。
めちゃくちゃ怒られるかもしれないし、赦されるかもしれない。
上手くいけば、お互いの心の傷が癒される可能性もあります。
全てひっくるめて、「ごめんなさい」からコミュニケーションが始まるということです。
「当事者性」と「コミュニケーションの起点」かぁ…。
これって、何にでも当てはまるんじゃない?
うさ井さん、するどいね。
それだけ、すべての謝罪に共通する特徴を探すのが難しいってことだよね。
結局、「謝る」ってどう教えたらいいの?
ここまで複雑で、とらえどころのない「謝罪」。
最初の問いにもどります。
それじゃあ、子どもに「謝る」ってどう教えたらいいの?
その答えが書かれている部分を、『謝罪論』から引用します。
子どもはそのつどの状況ごとに「謝罪」という概念の多様な側面のひとつひとつをじっくりと学んでいく以外にない。
『謝罪論』古田徹也/著 柏書房 2023年
つまり、ひとつひとつ場面ごとに教えるしかないということ。
謝罪の幅が大きすぎて、「こうすればOK!」という一つの教えにまとめられないのです。
じゃあやっぱり、謝るのやめた方がいいと思う。
うさ井さん、そうじゃなくて。ヒントはあると思うよ。
「当事者性」からは、何でもかんでも謝らないで、謝るべき事案を見分けよう。
「コミュニケーションの起点」からは、よりよい人間関係になるようなコミュニケーションにしよう。とかね。
まとめ
今回は『謝罪論』から、「謝る」を教えるにはどうしたらいい?という観点で紹介しました。
ポイントをまとめます。
- 「謝る」ことは、バリエーションが多すぎてまとめられない
- 「謝る」ことの特徴はあげられるけれど、すべて例外が存在する
- それでもすべての「謝る」に共通することを挙げるなら、「当事者性」と「コミュニケーションの起点」
謝らなくてはならないことを、やってしまったのは仕方がありません。
どうせならその後、よりよい関係を作り上げるようなコミュニケーションにしましょう。
結局、はっきりしない結論だね。
場面ごとに教えるしかないだなんて。
でも、一周回って知識が深まった感じはあるよね。
よい関係を作るためには、謝罪のどの特徴を見ればいいか。
そのことを意識できるようになるんじゃないかな。
どちらにしろ、ほん太くんはなにやっても怒らないから、適当な謝罪でもいいよね。
ほん太くん次第で、良い関係が続くでしょ。
…今まさに、その発言についてぼくに謝るべきだね。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
またお会いできるのを楽しみにしています!