ちくしょう、モヤモヤする。
トリのくせに…ブツブツ…
こっちはほ乳類だぞ…
うさ井さん、こんにちは。
後輩のインコ林くんについて、言ってはいけないことを言いそうだね。
そうなる前に話を聞くよ。どうしたの?
あぁ、ほん太くんか。こんにちは。
後輩のインコ林くんに、どうも避けられているようでね。
ほん太くんもほ乳類仲間として、ひどいと思うだろう?
避けられているのではなくて、うさ井さんがミステリアスすぎて話しかけづらいのだと思うよ。
それにしても、職場では少数派の鳥類であるインコ林くんに対して、ずいぶんひどい言いようだね。
『アイヌもやもや』と『正欲』の2冊を紹介するから、少数派の気持ちを考えようか。
📖『アイヌもやもや』(北原モコットゥナシ/著 303BOOKS 2023年)一行紹介:
アイヌが感じるもやもやを、マジョリティとマイノリティの関係などから考察する。
📖『正欲』(朝井リョウ/著 新潮社 2021年)一行紹介:
安易な多様性に気づかされる、特殊な嗜好を持つ者の群像劇。
マジョリティ(多数派)の問題 「私の暮らすこの世界は正しい!」
数人集まると、途端に強気になる人っているよね。
クソみたいだよね。
自分で気づかないものかな。
…うさ井さんは、もう少し自分を客観視できた方がいいね。
まぁ誰でも多数派にも少数派にもなり得るから、気をつけないとね。
まずは、多数派が少数派に無意識でやっていることを、本から紹介するね。
マジョリティの問題① “公正世界信念”というバイアス
多数派のバイアスとして、“公正世界信念”と言われるものがあります。
それは、自分の暮らす社会を正しいものとして見ようとする心の動きです。
社会的に弱い立場の人が、どんなに頑張っても、なかなか他の人たちのように暮らせない。
そうするとマジョリティの心の中で、“公正世界信念”が働きます。
「努力をすれば、見合った成功や見返りがあるはずだ」
↓
「困っている人自身に問題があるのではないか」
というように。
こういう場合、社会的な制度を見直すべきだよね。
それなのに、「自分が暮らせている社会は正しい。その人が悪い」と考えてしまうんだね。
『アイヌもやもや』によると、アイヌの人たちに対する分かりやすい差別は少なくなっても、“公正世界信念”から来る思い込みのせいで、以下のような反応を受けることがあるそうです。
- 正当化…「それは差別ではない」
- 緩和…「差別かもしれないけど、それほど重大ではない」
- 弁解…「差別するには理由がある」
- 否認…「差別だと認めない」
ひどいことをされたあと、「ひどいことなんてしていない」「そんなに言うほどひどくない」「そんなことされるお前が悪い」なんて言われたら、傷つくよね。
(今ほん太くんが言ったこと、インコ林くんに言ったことあるな…黙っておこう)
まったく、その通りだよ。
で、でも、言われる方も問題があるんじゃないか…なぁ?なんて…。
純度100%の弁解だね。
うさ井さん。過去の過ちは、素直に認めて反省しようね。
マジョリティの問題② 都合のいい“多様性”に押し込む
続いて、小説『正欲』を取り上げます。
「自分たちが正しい」と思いこむものに勝手に押し込もうとするマジョリティへ、マイノリティ側が感情を爆発させる場面です。
登場人物の通う大学のイベントで“多様性”を取り上げる“ダイバーシティフェス”が企画・実施されます。
同じ大学に通う“人に言えない性質”を抱える大也は、イベント企画側にいた八重子にこんな言葉をぶつけます。
「お前らみたいな奴らほど、優しいと見せかけて強く線を引く言葉を使う。私は差別しませんとか、マイノリティに理解がありますとか、理解がないと判断した人には謝罪しろとかしっかり学べとか時代遅れだとか老害だとか」
(中略)
「理解がありますって何だよ。お前らが理解してたってしてなくったって、俺は変わらずここにいる。
『正欲』朝井リョウ/著 2021年 ※太字・下線はほん太による
「お前らの都合で存在しているわけじゃない」と思うことはあるね。
少ない知識で、一方的にくくるのはトラブルのもとだね。
“多様性”と口にしないと受け入れられないのではなく、並列・対等なものとして自然に存在していたいですね。
マイノリティ(少数派)の不安 「…いないことになってない?」
マイノリティの不安① 「みんな日本人だから」いないことにされる
『アイヌもやもや』では、「日本は単一民族国家だ!」という主張のモヤモヤに触れています。
「みんな日本人」という主張のもと、アイヌ民族がいないことにされてしまうことについてです。
どうして「みんな日本人」でまとめようとする人がいるの?
いろいろあるけど、大きなものとしては「何で同じ日本人なのに、アイヌの人にだけ保護とか振興でお金を使うんだ!ずるいぞ!」ということだね。
そもそも、ひとくくりにされる“日本人”ってなんでしょう?
純粋な血筋?
“純粋な血”って、成り立ちそうで成り立たない考えです。
古くから大陸との交流はあったようですし、本当に日本列島内だけで続いている血筋なんてあるのでしょうか?
“日本人”という枠に収めるにしても、まずその枠がとらえにくいですね。
より大きなあやふやな枠に入れると、少数民族の名前が無くなるというのもおかしな話です。
たとえば「“カレーライス”も“オムライス”も“洋食”だから、これからは全部“洋食”とだけ呼べ!区別するな!」と言っているようなものだよね。
『アイヌもやもや』によると、そもそもみんな同じ“日本人”になってしまったのは、過去の政策や差別の結果。
政策や差別が、独自の言葉や生活様式を奪ってしまったのです。
数世代前の人のやったこととはいえ、そこから続く“多数派が優遇される社会”に、下の世代も暮らしています。
そのような背景があるため、アイヌ民族の保護や振興に大きな力がそそがれるわけですね。
マイノリティの不安② 名前が付いていない=存在しない?
続いて『正欲』からの紹介です。
前述の大也と同じ悩みを持つ登場人物、夏月の思いを引用します。
夏月は思う。既に言葉にされている、誰かに名付けられている苦しみがこの世界の全てだと思っているそのおめでたい考え方が羨ましいと。
『正欲』朝井リョウ/著 2021年 ※太字・下線はほん太による
夏月のように、苦しんでいる人がマイノリティであるためにまとまった名前が付けられず、様々な苦しみに耐えている人は多いでしょう。
逆に考えると、名前があることで対処ができるということもあります。
カスハラ、マタハラなど、名付けられてから大勢の意識を変えたことはたくさんあります。
名付けすぎて息苦しく感じることはあるけどね。
「アルハラ」とかは、飲み会好きな人はそう思うようだね。
でも、「みんな酒は楽しいだろ!楽しく思えないやつが異常だ!」という風潮を当たり前じゃなくしたのは、立派な功績だと思うよ。
どうすればいいの? 名前を付けよう
マイノリティが困っていることに名前を付ける
困っていることは、言い表す名前が付くと被害として理解できるようになります。
先ほど触れたカスハラ、マタハラ、アルハラなどはいい例ですね。
多数派の感覚で「冗談だよ(笑)」だったものが、被害として記憶や記録に残りやすくなります。
名付けた後の啓蒙活動や発信も重要ですね。
マジョリティにも名前を付ける
マジョリティの存在に名前を付けることも重要です。
マイノリティだけに名前がある状態だと、多数派から「ほら、あいつは○○だから」と異質なもの認定に使われてしまいます。
マジョリティにも対等の名前があることで、「ただ単に違うグループなだけ。上も下もない」という認識が生まれるきっかけを作ることができます。
『アイヌもやもや』では、“アイヌ民族”に対して、マジョリティの日本人の民族性を指す言葉がないと指摘しています。
かつての松前藩などでは、“和人”という言葉がありましたが、今は一般的には使われていませんね。
じゃあ、日本人は自分たちを何と呼べばいいの?
新しい呼び名を考えてあげようか?
うさ井さん、それには及ばないよ。なんかひどいの出てきそうだし。
『アイヌもやもや』では、“和民族”や“シサム”などをおすすめしているよ。
“シサム”は、アイヌの人たちが和人を指すときに使った言葉だね。
個人的には“シサム”ってかっこいい感じがするよ。
まとめ
今回は『アイヌもやもや』と『正欲』から、マジョリティとマイノリティの問題点を紹介しました。
ポイントをまとめます。
- 多数派は、「自分たちの世界が正しい」と思いがち
- 少数派は、大きな枠でくくられていないことにされがち
- 少数派の受ける被害や、多数派の枠そのものに名前を付ける
トリもウサギも、良い悪いの差はないんだね。
インコ林くんには、良くない態度を取っていたみたいだ。
気づいてくれてうれしいよ。
自分たちをあらわす言葉があるだけで、捉え方が変わるというのはいい視点だと思うよ。
じゃあ今回本を紹介してくれたお礼に、ほん太くんに新しい名前を付けてあげるよ。
えーと、「へどろ肛門…
やっぱりひどいの出てきたね。
名前を付けること自体が問題になることもあるよ。
そしてその続きを言ったら、…耳縛るよ。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
またお会いできるのを楽しみにしています!