【いのちを捨てなきゃならないほどの】『能力で人を分けなくなる日』を読んで考える、ひとの「価値」【無能って何?】

膝を抱える少年 本の紹介
インコ林
インコ林

うわ~ん、うさ井先輩に無能って言われたッス!

パワハラッス!生きていけないッス!

ほん太
ほん太

それは100%うさ井さんが悪いね。

気にしないで、インコ林くん。生きていけないほどの無能なんて、無いからね。
📖『能力で人を分けなくなる日』(最首悟/著 創元社 2024年)を読んで、そのことを考えていこうね。


📖『能力で人を分けなくなる日』(最首悟/著 創元社 2024年)一行紹介:
重度障害者の娘との暮らしや水俣病、やまゆり園事件での知見を、3人の10代と語り合う。


【本の目次紹介】
・第1回 頼り頼られるはひとつのこと
・第2回 私の弱さと能力主義
・第3回 開いた世界と閉じた世界
・第4回 いのちと価値のあいだ

ほん太
ほん太

インコ林くんは、自分のどんなところが無能だと思うの?

インコ林
インコ林

イヤなこと聞くんスね…。
よくわかんないッスけど、仕事でミスしたときに、うさ井さんに言われたッス!

ほん太
ほん太

でもそれって、うさ井さんの感想だよね。

2016年に、神奈川県の知的障害者施設で、入所者など45名の殺傷事件が発生しました。
殺傷した男は、入所者に声をかけ返事がなかった人から、命を奪ったそうです。
つまり、「意思疎通ができるかどうか」で人間としての価値を決めたのです。

一方、この本の著者の最首さんには、同居している娘さんがいます。
娘さんは重度障害者で、意思の疎通ができません。
それでも、最首さんは、娘さんに頼って生きていると言います。

最首さんは頼る相手の条件を、「自分にないものを持っている人」だと表現します。
娘さんは、「目が見えない」ことや、「しゃべらない」ということを持っている、と。

インコ林
インコ林

そういう家族がいることで、出会えた人やできたことがあったのかもッスね。

ほん太
ほん太

逆に、行かなくていい場所に行かないままで済んだ、ということもあったようだよ。

どうやら同じ人でも、相手によって見える価値が変わるみたいです。

「二者性」 ひとりの人間の価値は、ふたりで決まる

ほん太
ほん太

インコ林くんは、うさ井さんに「無能」って言われただけだよね。
べつに、インコ林くんを辞書で調べたら、説明に「無能」って書いてあるわけじゃない。

インコ林
インコ林

そもそも辞書に載ってないッス。

ていうか煽ってます?

西洋の価値観だと、「自立した個人」が重視されます。
まず個人がいて、「契約」してから、つながりをつくります

一方、日本では少し異なるようです。

明治以降、日本でも西洋の価値観が浸透していますが、同時に古くからの感覚も残っています。
その感覚とは、はじめから「つながっている」ということ。
神が自然とつながり、自然と人はつながり、人と人もつながっている。
まず場ありき、関係ありき、共同体ありきで、つながりとして暮らしていたという感覚です。

ほん太
ほん太

自己紹介するときって、「大学〇年生です」とか「〇〇に勤めています」とか、
つながりの中のポジションを言うことが多いよね。

つまり「あなた」がいて、「あなたのあなた」として「わたし」がいる。
これを、著者の最首さんは「二者性」と呼びます。

自分だけで勝手に感じた価値観を押しつけると、障害者施設での殺傷事件のような酷いことが起きるのかもしれません。

【考えてみた】「あなた」とつくる、わたしの価値

ここまでで、
相手にによって見える価値が変わる
日本人的感覚として、はじめからつながっている
ということを説明しました。

そこで、「無能」と言われようが何されようが、メンタルを保つ方法を考えてみます。

頼り頼られる (著者の発言から)

まずはこの本に書いてあったことです。
「これが答えじゃ!」という感じではなく、「考え方の一つ」というスタンスです。

著者の最首さんは高齢なので、「自分がいなくなったあと、娘はどうなるのだろう?」と考えます。
当然の悩みですが、最首さんの奥様はこう言います。

「若い人たちが娘を守ってくれる」と。

他の人を信頼しているから、「“価値が無い”と言われて見捨てられる」とは考えないんですね。
そうしないと、心配をこじらせて「…心中しようか」という気持ちになりかねない。

著者の最首さんが娘さんと共に生きるというのは、そういう「信頼の世界」だと言っています。

ほん太
ほん太

そうなると、「無能か有能か」という議論そのものを気にしなくていいよね。

インコ林
インコ林

でも、信頼するってハードル高いッス。

なんか、自分からも「信頼に値するもの」を差し出さなきゃならない気がして…

ほん太
ほん太

じつはぼくも、頼るのって苦手なんだよね…。

そこまで達観できないというか…。

だから、その手前の案として、「つながり」を変えたり増やしたりっていうのを考えたよ。

「つながり」を変える・増やす (ほん太の意見)

同じ一つのつながりの中にいては、自分の「価値」は変わらないように感じるかもしれませんね。

インコ林
インコ林

うさ井さんってば口が悪いから、また無能呼ばわりされそうっス…

ほん太
ほん太

じゃあ、他の人とつながって、頼るといいよ

そんなときは、別のつながりを増やしてみましょう
そうすることで、べつな視点ができ、新たな自分の価値が見つかるかもしれません。

以前紹介した『友だちがしんどいがなくなる本』の中に「友だちを続けるのはしんどい世の中になったけど、SNSが浸透したおかげで出会うきっかけは豊富になった」と書いてありました。

リアルな場でのつながりができれば一番ですが、まずはSNSを見て、「気持ちが上がる投稿を探す」でもいいと思います
慣れてきたら、「いいね!」してみたり。
もっと慣れたら、フォローしてみたり。

スマホ越しとはいえ、投稿者も人間です。
(botもいるかもしれませんが…大半は生身の人間です。たぶん。)
人の温かみを感じる一歩としては、アリだと思います。

ただ、SNSは「いいね!」欲しさにテキトーな発言をしている人もいます。
コロコロ意見が変わる人もいます。
なので、SNSは長居せず、リアルな場でのつながりを作るまでの繋ぎくらいに考えておくといいかもしれません。

ほん太
ほん太

ちょっとずつつながりができていって、

いずれ、気兼ねなく頼り頼られるようになると良いな。

そもそも、存在否定されるほどの無能・無価値って、なに?

ほん太
ほん太

「無能」と言われたのは、言った人がそう思っただけ。
思ってなくてもマウント取りたいがために言うこともあるし。

そもそも、狭い範囲で見れば、誰でもどこかしら苦手なことはあるよ。

インコ林
インコ林

そうっスよね…ちょっと仕事でミスっただけだし。

これからよくすればいいだけだし。

その一瞬の負い目のために、「存在全否定!」っておかしいッスよね。

よくよく考えると、存在を否定されるほど「無能」だったり「価値無し」って、あるのでしょうか。
だって価値って、相手との関係によって変わるものです。

他人にとって価値のないものが、自分の推しだったりしますよね。
お金を稼がない赤ちゃんやお年寄りは、家族にとっては大きな支えとなります。

つまり、すべての人から見て無能・無価値って、あり得ないと思います。

みんな誰かの「あなたのあなた」

ほん太
ほん太

たとえば自分の大切な人が植物人間になったとするよ。

簡単に、延命措置を止められる?

インコ林
インコ林

…無理ッス。

感情ぐちゃぐちゃッス。

「植物状態」の人がいるとします。
その人が「知らない人」である場合と、「自分の大切な人」である場合とでは、感情は全く違います。
知らない人だと、「気の毒になぁ。看病する人偉いなぁ」くらいかもしれません。
大切な人だった場合、感情は大きく乱れることでしょう。

気もちが攻撃的になった時、相手もだれかの大切な「あなたのあなた」であることを意識すると、ちょっとだけ平和になるかもしれませんね。

インコ林
インコ林

でも、ガチでヤバい人はいるので、ほどほどにするッス。

うさ井
うさ井

…呼んだ?

インコ林
インコ林

う、うさ井先輩!ピギャー!

パタパタパタ…

うさ井
うさ井

あ、逃げた…言いすぎたから謝ろうと思ったのに…。


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