ほん太先輩…うさ井先輩🐰が…わからないッス!こわいッス!
同じ空間にいるの、キツいッス!!
インコ林くん、悩んでいるね。
うさ井さんは感情が読めないから、慣れないと大変だよね
でも、実害はそんなにないよ。
ほん太先輩、なんでそんなに普通なんですか?
どうやったら、理解不能な人と一緒にいられるのか教えてください!
それじゃあ📖『他者といる技法(文庫版)』(奥村隆著 筑摩書房 2024年)を紹介するね。
人づきあいのときにフツーにやってる技法を突きつめている本なんだけど、うさ井さんと一緒にいるためのヒントがあるかもしれないよ。
📖『他者といる技法』(奥村隆著 筑摩書房 2024年)一行紹介:
思いやりや陰口など、他者といるときに使っている技法の、素晴らしさと苦しみの両面を描く。
まず、📖『他者といる技法』で書かれている技法を紹介します。
それぞれ素晴らしさと苦しみがあるので、それを踏まえたうえで結論に向かいます。
技法1 思いやり
インコ林くん、“思いやり”ってどんなものだと思う?
え、フツーに良いものじゃないッスか?
優しさッス。
そうだよね。
でも、「思いやりを持たないものを排除する仕組み」という一面もあるんだよ
他の人に思いやりを示せば、相手からも返ってくることを期待しますよね。
相手もそうだし、さらにほかの人へも思いやりを示すことで、社会は思いやりでつながります。
でも中には、思いやりを持たない(ように見える)人も存在します。
自分から思いやりを示したのに相手から返ってこないと、「なんだかバカにされた!」と腹が立ちますよね。
だからと言って、自分も“非思いやり態度”をぶつけると、他の人から「あら、あの人も思いやりないわね」と思われてしまいます…。
では、どうするか。
思いやりの輪を維持するために、思いやりを持たない人を「残念な人…」「かわいそうな人…」と扱うのです。
つまり、犯罪者か病人扱いして、思いやりの輪から排除するんだね。
コワッ!マジこわいッス…
技法2 陰口
思いやりを持たない人がいても、そうそう指摘できない・やり返せないことは前述のとおりです。
下手にやり返すと、自分も“思いやりない人認定”されるからッスね。
そこで効果を発揮するのが、“陰口”です。
陰でこそっと言うことで、“思いやりの輪”を壊さずに処理するのです。
思いやりがない(と感じる)相手がいるとして、大っぴらにその人を非難するとどうなるでしょう?
「あの人、すぐ他人の悪口言うよ」と、“思いやりない人認定”されてしまいます。
そうならないために“ここだけの話”にして、こそっと非難するのです。
「普段の私は、思いやりある人間ですよ。この場だけですよ。」と。
つまり、「この場だけね」という特殊な状況を作ることで、“思いやりある普段の私”と“相手を非難する今だけの私”を分離させ、“普段の私”に害が及ばないようにするのです。
自分を“思いやりの輪”の中に置いたまま、相手を非難することができるということだね。
やっぱりこわいッス!
安全なところにいたまま攻撃するなんて、スナイパーみたいッス!
技法3 「○○な人」認定
文化や風習が違う人に会ったとき、どう感じる?
うーん、楽しみもあるけれど…。
やっぱり、ちょっとこわいッス。
「理解できないことするんじゃないか」ってビビるかもッス。
異質な人は、自分のことをどうするかわからない「怖い人」。
そう感じる人は、割と多いのではないでしょうか。
なぜ怖いのか。
それは、“相手メイン”で考えているからです。
「この人は、自分に、なにをするんだろう?」と。
つまり、「自分がどうするか」が定まっていないのです。
こんな時、「自分はこういう態度を取ればいい」とわかるように、「○○な人」認定をすることが多々あります。
“自分メイン”にするわけですね。
「怖い人」を相手する時にありがちなのが、「汚い人」「ダメな人」認定です。
「この人は汚れた存在だから、テキトーに接してもOK!」
「この人はダメな人だから、世話してあげないと!」
これって…。
差別じゃないッスか?
そのとおりだよ。これは差別だね。
「○○な人」というおおざっぱな類型は、他人への理解をゆがめるんだよ。
前に触れた『アイヌもやもや』は差別の仕組みについてだったけど、今回は差別が生まれる瞬間の話になるね。
結論 理解できないままでいい
これまでをまとめます。
- “思いやり”は、思いやりない人を排除する仕組みの一面を持つ
- “陰口”は、“思いやりの輪”を壊さずに思いやりない人を処理する技法
- “○○な人認定”は、差別につながる可能性あり
…どうあがいても、排除や差別につながる気がしますね。
…詰んだッス。八方ふさがりッス。
思いやりのない・理解できない人とは、一緒にいられないッス!
しかし、📖『他者といる技法』では、こんな状況でもできることがあると書いています。
それは、「わからない他者と一緒にいる技法を考え続ける」こと。
違うからなぐりあうのではもちろんなくて、よく似た他者とも違う他者ともいっしょにいる技法を(もちろんわかりあうことも含めて・でもわかりあうことに囚われずに)開けるだけ開いておこう。
📖『他者といる技法』(奥村隆著 筑摩書房 2024年) ※太字・下線はほん太による
「わからない・理解できないままで、一緒にいる方法を考えよう」ということだね。
無理に理解しようとすると、差別や排除につながるから。
難しいッスね…。
ケンカするわけじゃなく、かといって無理に仲良くせず…
最後まで読んでくださってありがとうございました!
またお会いできるのを楽しみにしています!